最新情報

コラム

豊臣秀次一族430回忌

2024/04/22
コラム

関白豊臣秀次が自刀後その首が三条河原にさらされる中、子や側室たち39人が処刑され
た「秀次事件」から430回忌を迎え、一族を弔うために建立された京都瑞泉寺へ行ってきました。
天下を統一した秀吉には実子が早世し、実姉の子(秀次)を養子にして秀吉の後継者にしましたが、織田信長妹の市の子供、淀殿の間に秀頼が生まれた時から太閤秀吉と関白秀次の仲が綻び始めました。
自分が築いた豊臣政権をやはり実子に継承させたい考えるのも悲しいかな必然だったのかもしれません。
秀吉は関白秀次に難題ふっかけ高野山へ謹慎を命じましたが、秀次は自ら身に潔白を証明するため自害しました(享年28歳)。
しかし、秀吉はそれでは許さず秀次の妻妾、乳飲み子含め39人を河原町西側の河原に連れ出して、首を切り全員殺しました。
その光景を見ていた、京の街の人々は涙と信じられない光景に放心状態になったと公家の日記にあるようです。

京都の繁華街のど真ん中に残る秀次一族の墓所。正面中央には秀次の首を納めた石びつの前に立つと、時の権力者の残虐さを思いながら、ただただ手を合わせることしか出来ませんでした。