最新情報
コラム

終戦80年――私たちが今、見つめるべきもの
1945年8月15日、太平洋戦争の終結から今年で80年という節目を迎えました。
約310万人もの命が失われたあの戦争。その悲惨さを改めて心に刻み、私たちの祖父母たちが命を懸けて守り抜いてくれたからこそ、今こうして平和に暮らせていることを忘れてはならないと思います。
テレビでは日々バラエティ番組が溢れ、SNSでは「映える」ことに夢中になる――。
そんな日常が当たり前になっている今こそ、平和とは何か、自由とは何かを、今一度考える必要があると思います。
人類は過去の痛みから学び、平和を未来へつなげる責任が有ると思うのですが、現実にはホロコーストの記憶を持つユダヤ人国家イスラエルとハマスの衝突、そしてロシアによるウクライナ侵攻など、今もなお世界では戦争や紛争が続き、多くの人々の命が奪われています。
昨年訪れた「世界報道写真展2024」(京都)では、戦争、飢餓、気候危機、人権侵害といった、日々のニュースでは触れられない“現実”が、写真を通じて目の前に広がっていました。その衝撃と痛みは今でも忘れられません。
そして同時に、こうした真実がなぜ日本のメディアからは伝わってこないのかという疑問も、強く感じました。
日本の報道は国内ニュースを優先し、海外常駐の記者も限られ、現地のリアルな声を深く届ける力に限界があるのでしょうか。
さらに、スポンサーや視聴率への配慮もあるため、視聴者受けしない深刻なニュース——戦争、経済危機、人権問題など——は取り上げられる機会が少なく、時に都合の良い情報ばかりが流れているようにも思えます。
そんな時代に、「何の力もない一個人である自分たちは、どうやって「真実」に近づけばよいのでしょうか。
けれど、できることがまったくないわけではないように思います。
たとえば、ウクライナ侵攻についても、一つのメディアの報道だけに頼るのではなく、「ウクライナ側の視点」「ロシア側の視点」「西側諸国の視点」など、複数の角度から見つめる努力をしてみる。またこの侵攻によって誰が利益を得ているのか、ウクライナ地域の歴史や民族問題に目を向けること。
そういった小さな意識の積み重ねが、「真実に近づく力」になるのかもしれません。
太平洋戦争中、日本の新聞社が政府の意向に沿った報道を続けていたことに疑問を抱いた若い新聞記者に対して、映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011年)で、山本役の役所広司さんが語るセリフに、こんな一節がありました。
「新聞というのは、読んで字のごとしだ。
世界中の“新しい聞こえ”を、自分の目と耳で確かめ、それを人々に伝えるのが記者の仕事だ。
「目も」 「耳も」 「心も」
大きく開いて、世界を見なさい。
それが次の時代を担う者の務めだと思うが——。」
情報があふれすぎる今の時代だからなのか、この言葉がなぜか私の頭の隅に残っています。
「曇りなき眼で見定め、決める」
映画『もののけ姫』で主人公アシタカが放ったこの一言もまた、今を生きる私たちに必要な姿勢を示しているように思います。
一方に偏らず、多くの声に耳を傾け、自らの目と耳と心で真実を見極める力。
それこそが、戦後80年を生きる私たちの責任なのかもしれません。
過去から学び、今を問い、未来に備える。
平和の意味を問い直すこの年に、そんな「まなざし」を忘れずにいたいと思います。